【フラッガー】村上豪英(Urban Picnic/神戸モトマチ大学代表)
【時】11月1日(水)、2日(木)11:00〜19:00、3日(金祝)〜5日(日)10:00〜19:00
【場】東遊園地 神戸市中央区加納町6丁目
【参】参加無料・予約不要

「アーバンピクニック」は、市民が東遊園地を通して都心を育てる社会実験です。アウトドアライブラリーをはじめ、各種のプログラムが開催されていますので、ぜひご参加下さい。

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2015年6月のとある日、Urban Picnic(アーバンピクニック)の会場、「東遊園地」に敷かれた芝生の上で、僕は知人が関わっていた「アウトドアライブラリー」の読書交流会に参加していた。「なんだか、気持ちの良い空間だ」の感慨とともに。
あの日から2年と少し、2017年7月の晴れた日の夕暮れ、僕は、この公園「東遊園地」、Urban Picnic/神戸モトマチ大学の代表、村上豪英さんに会っていた。村上さんは、神戸生まれの神戸育ち、生粋の神戸っ子だ。幼い頃から自然が大好きで、自然環境の保護にも関心があり、長じては京都の大学、大学院で生態学を学んだ。卒業後はシンクタンクへ就職し、3年ほどの後、家業を継ぐため、村上工務店へ入社、現在は代表取締役社長を務められている。
自然環境保護と建築、「建築とは自然を壊すこと・・・。」相反するように思えた家業への認識が変わったのは、1995年、1月17日に発生した。阪神・淡路大震災がきっかけだ。僅かな時間で、故郷の景観、自然、まちを一変させた震災から、少しづつ、少しづつ、人に向き合い、助け合い、神戸のまちの再生へと尽力する家業の仲間の姿に、「建築業には、まちをつくる力もある。」と思えるようになった。
2011年3月11日、東日本大震災発生。被災地、東北での支援活動中に、まちの復興に汗を流し、駆け回る人達を見て、再び、故郷、神戸への想いに火が灯る。
「阪神・淡路の震災の後、自分は神戸のまちのために何もしてこなかったのではないか?」村上さんは、当時そう思ったと語られた。すぐに、同じ想いを共用する仲間たちと、2011年6月、ソーシャル系大学「神戸モトマチ大学」を誕生させた。その後、6年間で神戸のまちの様々な人達を結び、ほど良い距離感の人同士をネットワーキングし、まちの輪のなかにそれぞれ「じぶんごと」として、考え、参画できるきっかけづくり、学びの場として、機能し、成長している。
震災というあまりに大きな悲しみは、大きな犠牲、教訓と共に、人が「じぶんごと」として、まちに関わるという意識を芽吹かせたのかも知れない。神戸に生きる人々に静かに、そして熱く。
東遊園地で、ひとの輪に触れたあの日から、3年目を迎えたUrban Picnicの会場で、村上さんは今日も新しいまちづくりに挑んでいる。居留外国人のために作られた日本初の西洋庭園は、現在、神戸市民の「アウトドアリビング」として、ほど良い距離感の人的交流を促し、神戸の中心に今も「なんだか、気持ちの良い空間」を形作っている。インタビュー中、公園内の様々な人に会釈し、時には転がりこんだサッカボールを投げ返す、汗を流す、アクティブな村上さんの姿は、公園で起きるできごとを「じぶんごと」として関わり、この「東遊園地」という公園の空気感をつくり、育てている。「広い、深い、大きい人」そう評したのは、同行者の片岡きりん。では僕は?「ナンデモナイヒオメデトウ」は神戸文化祭のテーマだが、日常(くらし)を言祝ぐ、このキャッチフレーズがことのほか似合う人であり、「神戸のまちが好き。」を静かに、そして熱く、全身で体現している人、「ザ・神戸人」。それが僕の思う村上さんだ。(垰下ルポ)